ディエゴ・リベラの経歴
1920年、メキシコに民衆のための芸術を興すというダヴィッド・アルファロ・シケイロスの誘いに賛同してパリを離れた彼はイタリア
を旅して壁画を研究、1921年に帰国してグアタールペ・マリンと結婚。メキシコ壁画運動の中心的人物となる。彼はテンペラ画によっ
て、メキシコの民族的な伝統と社会主義的な文脈を組み合わせた壁画を公共建築などに多く描いた。メキシコシティの国立宮殿や、チ
ャピンゴの国立農学校には彼の代表作が今も保存されている。この時期メキシコ共産党に入党し、教会や聖職者を攻撃したが、その激
しい性格とレオン・トロツキーの思想への関心などから多くの敵対者を生んだ。彼は1927年にロシア革命10周年記念でソビエトのモス
クワに招待されたが、翌年反ソビエト活動に関わった疑いで送還された。共産党からも1930年に除名される。
1930年、画家のフリーダ・カーロと結婚。彼は42歳でフリーダは22歳で、その夫妻の容姿から周囲には美女と野獣カップルといわれた
。1930年から1933年にかけて大不況後のアメリカ合衆国で活動し、多くの建物に産業や労働者をテーマにしたフレスコによる壁画を残
し大きな評価を得た。1933年にはニューヨークのロックフェラーセンターに『十字路の人物(Man at the Crossroads)』と題する壁
画を書き上げたが、アメリカの建国者たちと並んで社会主義者のレーニンの肖像を配した壁画は発注者やマスコミの猛反発を呼び、完
成直前に破壊された。その後のアメリカでの仕事もすべてキャンセルされ、彼は怒りと失望でメキシコに帰国する。しかし時代を下が
る1940年にサンフランシスコで壁画を制作することがかなうなどアメリカのクライアントとの関係は続いた。
彼はメキシコを訪れた多くの芸術家を家に招いた。メキシコに亡命したトロツキーも家に招待するが、その後間もなく二人は仲たがい
してしまう。その後にトロツキーが暗殺されたことで、彼も暗殺に関わったのではという憶測が流れることにもなった。また、女性関
係にいとまがなかった為 夫婦仲が極端に悪化、とりあえず別居してみたものの、彼もフリーダも不倫が続き、1939年に離婚。しかし
1年後に復縁再婚し彼女が1954年に死去するまで夫婦であり続けた。健康に不安があったフリーダは妊娠するも結局流産し二人の間の
子供はなかった。ディエゴ・リベラは翌年の1955年に別の女性と再婚し、1957年にメキシコシティで死去。
『ウィキペディア(Wikipedia)』引用
ディエゴ・リベラの作品はとても好きな物の1つです。
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